seizituのブログ

今を生きるエネルギー満開

築地本願寺にて

築地本願寺若い女性ひとり

 田舎から友達が上京して来た。会うのは2年ぶりだ。

築地本願寺の建物はお寺としては珍しい外観で、古代インド・アジア仏教様式を模しているのでそこを見学し、築地の場外市場でお寿司を頂くことに二人の話は決まった。

 

ここは浄土真宗本願寺派の直轄寺院で西本願寺の別院として創建された。

 本堂ではお葬式が執り行われており、葬儀屋さんのテントが幾張りも設営されていた。式場の前には大きな看板が立てられ

「創業者 第△代社長 ○○○儀 社葬」と書かれていた。

そのため、私たちは本堂の中を見学することはできなかったので第二伝道会館を見学することにした。

第二伝道会館では中央に仕切りがしてあり、前方でお坊さんがお経をあげ、最前列には若い女性が一人椅子に腰かけていた。たった一人の依頼に応えてお経を唱えているのだとびっくりすると同時に神妙な気持ちになった。仕切りの後方で私たちも座り一緒に聞いた。若い女性の気持ちをよく理解していらっしゃるのかお念仏には心が込められているように感じたので、私の気持ちは自然に亡くなった両親や誰彼のことを思い出し、冥福を祈っていた。

 この若い女性はたった一人でやってきて、誰を弔ってもらっているのだろうか。恋人だろうか、夫だろうか、幼子だろうか、母親だろうか、家族が来ない苦しい事情があるのに違いない。私はわずかばかりのお金を奉納箱に入れて手を合わせた。友達もそうした。後から入ってきた人たちもそうしていた。念仏が終わるとお坊さんは、傍の若い女性に語りかけた。後ろの席までよく聞き取れなかったが、この世には常であるものは無い、生成流転するというような内容らしかった。

 終わって深く一礼して部屋を出ると、かごの中に浄土真宗の教えを書いた紙のしおりがたくさん入っていて、自由に持っていけるようになっていた。私は友達にあげる分も含めて数枚頂いた。しおりの表は桜色で「念じなくても花は咲き、念じても花は散る」と書いてあり、裏には「私の計らいに関係なく、花は咲き散ってゆきます。花に限らず、世の中には自分の思い通りにいかないことが多々あります。私たちは自分の思うとおりに行かないことがあると不満に思い苦しんでしまいます。そんな自分本位の考え方から離れ、何事も自然にありのままに受け容れていく生き方。それが浄土真宗の生き方です」と書いてあった。

 

 詩人の坂村真民さんがつくった「念ずれば花ひらく」という有名な詩があります。

苦しいとき

母がいつも口にしていた

このことばを

わたしもいつのころからか

となえるようになった

そうして そのたび

わたしの花がふしぎと

ひとつひとつ

ひらいていった

 

 本堂で社葬を行われていた創業者は、きっと念じて、念じて事業を成功させた方だろう。ナポレオン・ヒル著の「思考は現実化する」を実行なさった方だろう。松下幸之助氏の一文にあるように「人生は真剣勝負である。だからどんな小さな事にでも、生命をかけて真剣にやらなければならない。もちろん窮屈になる必要は少しもない。しかし、長い人生ときには失敗することもあるなどと呑気にかまえていられない。これは失敗した時の慰めのことばで、はじめからこんな気構えでいいわけがない。」(道をひらく PHP)の心構えを持っていた方だろう。

 あるいは生まれた時からの幸運に恵まれた方なのか…

 

 念じても念じなくても花は咲き花は散る。人間の思い通りにいかないこともあるそれが人生。この宇宙のなかでどのように自分の気持ちを抱きしめ、己と人々の幸せと希望を探っていけばよいのか、課題を与えられた一日であった。